概況
泉州市は福建省の東南沿岸に位置し、北緯24°22’~25°56’、東経117°34’~119°05’で、面積が11,220.5平方キロメートルです。鯉城、豊沢、洛江、泉港の4区と石獅、晋江、南安の3市、恵安、安溪、永春、徳化、金門の5県を管轄し、人口が654.62万人(金門県を含んでいない)です。閩南方言が通用します。泉州は有名な華僑の故郷で、台湾漢民族同胞の主な本籍地です。
泉州は「海のシルクロード」の出発点で、国務院が第一陣に発表した24の歴史文化名城の一つです。唐代には泉州刺桐港はすでに中国の四大対外貿易港の一つで、宋・元時代はエジプトのアレクサンドリア港とともに「東方第一大港」と言われていました。泉州は一貫として「海浜鄒鲁」という誉れを持っています。文化は盛んで、中西文化が長期にわたってここに集まり交流し、無数の星のように輝く文化名人が育てられ、南戯、南音、南少林を代表とする古今に輝いた文化遺産や大量の珍しい国内外の歴史文化遺産が残されています。国家重要文化財に属する観光区としては、「開元寺」、「老君岩」、「清浄寺」、「イスラム教のお墓」及び「草庵」など中世紀からの主な宗教の寺院があり、洛陽橋、安平橋、崇武古城など伝統的な建築物があり、また、民族英雄鄭成功のお墓、著名な民間信仰宗廟の天后宮、徳化屈斗宮古窑遺跡などの風景区が12ヶ所あります。
風景区案内
市街区(行政区の順番により風景区を紹介する)
清源山(別名:北山、泉山、斉雲山)は泉州城北側の障壁で、標高498メートル、面積62平方キロで、主な風景区が泉州城市街区より3キロ離れています。「清源は石を奇とし、泉を霊とする」ところです。元代の人々は「閩海蓬莱第一山」と呼んでいました。「清源鼎峙」は泉州十景の一つで、かねてから観光客が登って景気を見るところです。1988年に国家風景名勝区になりました。
老君岩は清源山左側の峰である羅山、武山の麓にあり、宋代に自然の岩石で彫られた老君の坐像は、高さ5.1メートルで、彫刻が精巧で生き生きとしており、わが国で最も大きい現存の道教石像で、国家重要文化財です。
開元寺は福建省最大のお寺で、面積が78,000平方メートルで、規模が雄大で、構造が立派で、景色が綺麗です。その名は洛陽の白馬寺、杭州の霊隠寺、北京の広済寺とともによく知られています。開元寺は唐の垂拱3年(紀元687年)に建てられ、最初は「蓮花寺」と名づけられたが、唐の開元26年(紀元739年)に全国各州に開元寺を造れという唐玄宗の命令により「開元寺」に改名しました。その敷地はもともと大財産家黄守恭の桑の木園であったが、のちにお寺の建設のために匡護大師に寄付されました。お寺の中は古跡が多く、大雄宝殿内の「妙音鳥」及び甘露戒檀の周りの支柱・枡形や舗作間の「飛天楽伎」が建築芸術の貴重な宝であり、南音と南戯を研究するための大切な形象資料でもあります。
拝み庭の両側の広場に聳え立っており、互いに約200メートル離れた、5階建八角楼閣式で木造を真似した宋代の石塔は泉州東西塔で、開元寺の重要文物です。両塔は本体の雄偉、スタイルの奇妙、建築の精巧及び彫刻の緻密で世によく知られ、わが国の古代の石造建築の貴重な宝です。中世紀における泉州海外交通最盛期の社会が空前の繁盛を迎えたことを象徴しているものであり、歴史文化名城である泉州独特の標識でもあります。
清浄寺はわが国最古の現存のイスラム教建築の一つで、国務院が最初に発表した全国重要文化財の一つです。泉州清浄寺(アソハブモスクともいう)はイスラム暦400年(紀元1009年)にシリア・ダマスカスのイスラム教寺院の建築形式に倣って造られたもので、面積が約2,500平方メートルで、アラビアのムスリムが中国で建てた最古のイスラム教寺院です。その主な建築は大門、奉天壇、明善堂などで、わが国最古のアラビア建築風格を有するイスラム教寺院です。
泉州天后宮は泉州市街区南門天后路1号にあり、宋の慶元2年(紀元1196年)に建てられ、城南の晋江の浜に位置し、媽祖の林氏默娘を祭っています。媽祖の林氏默娘は元代の莆田県湄洲島の庶民のむすめで、医学の研究に専念し、気立てが優しく、人を助けるのに熱心です。その時、莆田地区ではコレラが流行り、林默娘は力を尽くして治療し、村人を緊急救助していたが、案の定利きました。のちに林默娘は父と兄を救助するため、海で亡くなりました。沿岸の人々は彼女に救助の恩を返すために、「海の女神」と尊び、お寺を建てて祭ってきました。泉州天后宮の建築は今でも宋代の部材や明清時代の木造建築が残り、国内外で同類の建築の中で規模が最も大きく、規格が最も高く、年代が最も早く,世によく知られている古跡で、1987年に全国重要文化財になりました。天后宮内にある福建・台湾関係史博物館は祖国大陸と宝島台湾の史上における深い関係を反映する専門的な博物館で、館内には大量の貴重な歴史文物と民俗文物が保存されています。
泉州府文廟は唐の開元末年に建てられ、当時の宰相の張九齢が「魯司寇廟」という扁額を書きました。北宋の太平興国初年に現所在地に移り、文廟がつくられました。その後何度も修繕され、「左は学、右は廟」という規制が次第に整い、規模もだんだん大きくなり、面積が百ムー近くに達し、儒学を中心とする中華伝統文化を広く東南沿岸地区ないしアジア東南アジア地域に広める重要な基地になり、東南地区最大の文廟建築群にもなりました。
泉州海外交通史博物館は海外交通史を特定テーマにした中国唯一の博物館です。1959年に創設され、1991年に新館の工事が完成しました。その外形が帆を揚げて出航しようとする大きな船のようで、「泉州海外交通史陳列館」、「泉州宗教石刻館」、「泉州民俗文化陳列館」及び「中国古代船模型館」の四つの展示館があります。泉州は古くは「刺桐」と称され、中世紀に「海のシルクロード」の出発点になり、東西文化交流において重要な地位を占めていました。泉州の海上交通は南朝に源を発し唐に発展してきました。宋・元時代になると、刺桐港の海上貿易は空前に繁盛し、マルコ・ポーロに「東方第一大港」と誉められていました。
洛陽橋
中国最古の現存の川を跨る石造りのビーム・ブリッジである洛陽橋は洛陽江にあり、世界における橋梁の筏形基礎の始まりで、全国重要文化財です。洛陽橋はもともと万安橋といいます。宋代の泉州太守、有名な政治家・書道家の蔡襄は橋の建造工事を責任をもって執行しました。北宋の皇祐5年(紀元1053年)~嘉佑4年(紀元1059年)の7年間にわたって、川を跨るこの大きな石橋が作り上げられました。洛陽橋の建造は世界の橋梁科学に対して巨大の貢献をしたことになります。橋の建造職人は近代までやっと人々に知られた新型の橋脚―筏形基礎をつくり、また橋の下で大量のカキを養殖し、橋の基礎と橋脚の石を接着して堅固な橋にしました。これが橋作り史上で最も工夫をこらした「蛎養殖による橋脚強固法」で、世界で最初に生物学を橋梁工事に使った試みでした。洛陽橋の完成は、洛陽江を自由に往来できるようにしたばかりでなく、泉州の海外交通事業の発展にとっても重要な役割をを果たしています。
洛陽橋にある宋代の石塔
泉州ゴルフクラブはわが国の有名な多国籍企業の中国遠洋運輸(集団)総会社が投資してつくったもので、球場が泉州の四大名山の一つ、自然環境の美しい紫帽山風景区にあり、泉州市街区より6キロ離れており、国際基準の&127、国内一流の18ホール、72パーのコース、ゴルフ練習場、会館、別荘、テニスコート、プールなどの施設が設けられています。
球場設計者:コレーゴ・ボチョーム
球場状況:総面積:1,500ムー ホール総数:18ホール
パー:72 長さ:7,108ヤード
主催した試合:
1999年中国・フィリピンゴルフ招待試合
2001年中国・マレーシアゴルフ招待試合
2001年泉州・福州親善対抗試合
2001年福建省ゴルフ選手権試合
恵安県
崇武古城は中国唯一の比較的完備した石の城で、わが国の海防史における比較的完全な史跡であり、全国重要文化財でもあり、泉州市恵安県の東南側より24キロ離れた崇武半島の南部にあり、600年前の明代に建てられたものです。崇武古城は全部白い花崗岩で築かれ、城壁の長さが延2,457メートル、城の基礎の高さが5メートル、城壁の高さが7メートルで、競馬場が2階あります。完備したわが国古代の戦略防衛体系が保存されています。崇武恵安女性は独特の服飾や奇特な風情で古城の風光に幾分かの魅力を増しています。崇武古城はまた「石彫の郷」で名を馳せ、石彫もすでに崇武の主な産業になっています。
安溪県
大坪生態観光茶園:標高850メートル以上で、一年中雲霧に蔽われている大坪郷は国家級茶葉の優良品種である「毛蟹」の産地です。大坪郷は地勢が広く、環境がきれいで、気候がよく、空気が新鮮で、四つのすばらしい滝があります。そのうち、百丈祭滝は高さ115メートル、幅40メートルで、水流が飛び込むように流れ落ち、しぶきが飛び散っている険しい景観が全くこの上ないものです。その他の三つの滝もそれぞれの特色があります。生態観光茶園では、七つの台湾系企業が「台湾風珠茶」と「人参ウーロン茶」を開発・製造するための先進的な設備が見物でき、また最も原始的な茶歌の歌垣及び20年代に上海の建築に倣ってつくられた古い通りが観賞できます。
安溪文廟は紀元1001年に建てられ、県城の東南側にあり、福建省重要文化財です。文廟にに古代の木刻や石彫の精華が集められ、広い庭や72本の石柱が孔子の72人の弟子・賢人を意味し、正殿の上方に康煕帝の親筆である「万世師表」が掛けてあり、屋根の如意枡形が合計108目で、108名の文曲星を表しています。安溪文廟は宮殿式建築として、江南における現存の文廟の中で最も完備した古代建築群で、その建て方が日本に伝わっていました。
瓷器の都―徳化:徳化県は泉州市の西北部にあり、福建省中部の戴雲山脈に位置し、面積が2,232平方キロで、18個郷や鎮を管轄し、人口が30.4万人です。徳化は千年の歴史を有する古い県で、陶磁器の産地として国内外によく知られています。その陶磁器の生産は歴史が長く、わが国の陶磁器文化の発祥地と三大古い瓷器の都の一つです。北宋時代には徳化の陶磁器が海外への販売が始まり、古代の海のシルクロードにおける主な輸出商品でした。現在、全国最大の工芸陶磁器の生産・輸出基地になり、1996年に国務院の発展研究センターに「中国陶磁器の郷」と命名されたあと、2002年にも「中国小水電の郷」と命名され、2003年に「中国民間『陶磁』芸術の郷」及び「中国瓷器の都―徳化」と評されています。
屈斗宮古窯遺跡は宋・元時代陶磁器窯の遺跡で、1988年1月13日に国家重要文化財になりました。この遺跡から掘り出された窯基が全長51.7メートル、幅が1.4~2.95メートルです。全部で17軒の窯室があり、800件余りの生産道具と6,790件余りの完全または不完全の陶磁器標本が出土しています。その製品は純潔な乳白色を特徴とし、造形及び焼き方は明らかな宋元時代の磁器の特徴を持っています。屈斗宮古窯遺跡は宋・元時代の磁器製造業の生産規模、窯の発展、焼き工芸及び陶磁器の海外販売の研究にとって重要な価値を持っています。1981年、屈斗宮古窯遺跡は「中国名勝辞典」に収録されました。
石獅市黄金海岸休暇村は永寧の海浜にあり、面積が6,000ムーで、台湾と海を隔てて向かい合っています。長さ10キロメートル、幅38メートルのコンクリート通りは、石獅の繁華街に通じています。閩南黄金海岸休暇村は初期には古風大観園ホテル、海島世界、東南アジア小人国民俗村、ボートクラブ、海水浴場、海浜公園、海浜仏国、大型遊園地、観光民俗商業街、海浜別荘などがつくられ、観光、娯楽、文化、商業、住居を一体にまとめた石獅市の観光名所になっています。
南安市
南安鄭成功記念館は1962年に台湾回復300周年を記念するため建てられたものです。同館は鄭成功に関する歴史文物を陳列し、文物、文献、図表、絵、彫塑、写真、模型などの陳列品を通じて、鄭成功の輝いた生涯を系統的に紹介しています。同時に、同館は国内外最大の鄭成功の文物、文献収蔵センターと研究基地で、国内外でかなり有名です。
敷地面積10ムーの園林式建築の鄭成功碑林が記念館の西側にあり、全国各地及び日本、フィリピン、シンガポール、インドネシア、アメリカ、フランス、香港、台湾などの国・地区の200点余りの題字は、楷書、行書、草書、隷書などを含め、鄭成功の愛国主義の崇高な精神と中華民族の偉大な文化芸術を表しています。
蔡氏古代民家建築群は福建省南安官橋漳里村にあり、泉州市街区より20キロ離れ、福建省重要文化財です。蔡氏古代民家建築群は蔡啓昌氏及びその息子の蔡資深氏が清の同治年間(1862年)~宣統3年(1911年)に建てられたものです。現存の比較的完備した家宅が16軒で、東西の長さが200メートル余り、南北の幅が100メートル以上、敷地面積が15,300平方メートルです。蔡氏古代民家建築群は、一軒一軒棟木と梁に彫刻や絵画が施され、その飾りが巧妙・華麗で、ドアや壁が書道や絵で飾られ、閩南の成熟した彫刻芸術を表わし、清代の閩南建築の代表作になっています。
安平橋は五里橋ともいい、東は晋江安海から西は南安水頭までで、南宋の紹興8年(1138年)につくられ、全長2,255メートル、幅3~3.8メートルで、中古時代の世界最長の花崗岩構造の海を跨るビーム式平橋で、「天下無橋長此橋」という誉れがあり、全国重要文化財です。同橋はわが国の古代の橋造り技術、泉州海外交通史及び安海の変遷などの研究にとって重要な価値があります。
【説明】本ホームページはわが市周辺の観光地を宣伝することを旨とするもので、もし選んだ内容(インタネットから)に対して疑問があれば、お教えください。できるだけそれを確認して更正致します。 |