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武夷山

 

 

出所:福建観光の窓 www.fjta.com

 

概況:

武夷山市は福建省の北部に位置し、北緯27°27’28°05’、東経117°37’118°19’で、面積が2,802.8平方キロメートルです。五鎮、五郷を管轄し、人口が21.53万人です。 武夷山市は第一陣歴史文化名城に指定され、国家重点風景名勝区で、世界自然遺産と文化遺産です。有名な風景区としては、九曲渓、玉女峰、大王峰、三仰峰、天心岩、虎嘯岩、鷹嘴岩、水帘洞、桃源洞、雲巣、天遊観、万年宮、一線天、架壑船棺、武夷精舎などがあります。武夷山自然保護区は総合的な科学研究の基地で、世界有数の生物標本産地です。興田城村の漢城遺跡は現在わが国の江南で発見されたもののうち、最も古くて最も完備した古城遺跡です。星村の太廟には遇林亭北宋の「烏金兎毫」という磁器窯の遺跡があります。

 

風景区案内

 

武夷山風景区は福建省武夷山市南郊に位置し、武夷山脈の北端東南側の麓にあります。武夷山は白色砂礫岩からなった低い山の丘陵で、丹霞地形に属します。数万年以来、地殻変動のため、地形が絶えず変化し、雄大で美しく、独自の特色を持っている「三三」、「六六」、「七十二」、「九十九」の名勝ができました。「三三」は山中にまつわる青く清い九曲渓のことで、「六六」は様々な姿で両岸に立ち並んでいる三十六峰で、それに七十二の洞穴と九十九の山岩です。武夷山は水が青く山が赤くて様々な姿を呈しているので、「奇秀甲東南」と言われています。

武夷山は歴史の悠久な文化名山です。新石器時代には古代越人はすでにここで繁殖し生存していました。今まで断崖絶壁の上に残された「架壑船棺」と「虹橋板」は古代越人特有の埋葬風俗です。武夷山はかつて儒家の学者が儒教を提唱し学問の講義をした場所でもありました。陳朝の顧野王は武夷山で学術講演の学風を初めて導入しました。宋代学者の楊時、胡安国と朱熹らは相前後してここで学生を集めて講義をしていました。清の康煕26年(1687年)に、康煕帝の親筆である「学達性天」は宋儒朱熹を褒めたたえたもので、その扁額が朱熹が創設した武夷精舎に掛けてあります。したがって、後世の人々は武夷山を「三朝理学駐足之薮」と読んでいました。武夷山は鮮やかで、香が濃く、味が純粋な武夷岩茶がよくでき、「薬飲兼具」(薬としての効果を兼ねる)の効能で世によく知られています。

閩中(福建省中部)山水の奇特で美しいものとしては、武夷山が一番です。武夷の魂は九曲渓にあります。この渓流は武夷山脈の主峰である黄崗山の西南側の麓に源を発したもので、澄み切っており、全長約9.5キロメートル、総面積8.5平方キロメートルです。竹の筏に乗って九曲渓を見物すると、穏やかで心地よく、視野が広く、山や水の景色が楽しめ、山に挟まれ水流が曲がりくねり、水が山に沿って流れ、ひと湾曲ごとに景色が異なり、武夷山で最も観光客を引き付ける名所です。

天遊峰九曲渓の六曲渓北側の風景区中心部にあり、雨の後晴れたり或いは朝日が初めて昇ったりするたびに、峰の頂に登って、雲海を眺めると、雲がまるで海の波のように、めまぐるしく変化し、恰も蓬莱仙境にいるようなので、「天遊」と言われています。上天遊の一覧亭は断崖に臨み、武夷山における絶好の山水観賞台です。ここの手すりにもたれて見回すと、雲海が茫々とし、九曲渓が曲がりくねって流れ、武夷山山水が一望に収められ、「武夷第一峰」の称があります。

大紅袍茶樹 「お茶の王」と呼ばれている大紅袍茶樹は九龍巣の最後の巣の岩本に成長してきたものです。大紅袍茶樹が「お茶の王」の美称を得たというのは、その成長がよい環境に恵まれているからです。茶の木が生長する絶壁には1本の細長い岩の裂け目があり、岩の頂から一年中泉の水がこの裂け目に沿って落ちてきます。泉水の中に蘚苔類の有機物がついているから、そこの土壌が他所より湿っぽくて地味が肥えています。茶の木の両側には岩壁が直立し、日照が短くて、気温の変化が激しくありません。それに、普段から農家が入念に管理し、摘み取って加工する際、必ず腕の最もよいお茶の師匠が主になってやり、道具も全部特製の器具です。それで、大紅袍茶は優れた品質と特殊な薬の効果があります。お茶の師匠の評定によれば、大紅袍茶は9回まで入れていても、まだお茶のもと味であるもくせいの花の香が残ります。これによって「お茶の王」という美称を得たのです。

大紅袍茶樹という名称の由来に関しては、民間にはさまざまな伝説があります。一説では、天心廟の老住職は九龍巣の神茶で受験のため上京する挙子の病気を治し、のちにその挙子は一位の成績で合格し、神茶に救命の恩を返すために、武夷山に帰り、体から深紅の長衣を脱いで茶樹にはおったので、後世の人はこの茶を「大紅袍」と名付けたということです。もう一説によると、ある王朝の皇太后は病気になり、1日中腹が張って痛み、寝込んでおり、天下の名医に見てもらい、特効薬をたくさん飲んでいたが、一向によくなりませんでした。あとで天心廟の老住職は九龍巣神茶を1箱献上し、皇太后の病気を完全に治しました。皇帝は恩を返すために大臣に深紅の長衣を持たせて武夷山に行かせました。大臣は武夷山に着いてから、深紅の長衣を神茶の上にはおり、茶の木を「大紅袍」と名付けたそうです。ところが、もっと多くの人は、大紅袍茶樹は初春に葉芽が盛んに出、木全体が真紅になり、遠くから見れば、まるで深紅の長衣を着ているようだから、「大紅袍」と名付られけたと考えています。大紅袍茶樹は4本しかありません。

武夷宮は会仙観、沖佑観、万年宮ともいい、大王峰の南側の麓にあり、九曲渓の入り江に面し、歴代帝王が武夷君を祭るところで、宋代には全国の六大名所の一つでした。

城村漢城遺跡は武夷山市興田鎮城村より1キロ離れた南西側にあり、国家重要文化財です。古漢城遺跡は起伏のある丘陵山地にあり、城が長方形を呈し、南北の長さが860メートル、東西の幅が550メートル、総面積が48万平方メートルです。城の東、西、北の3面は渓流に取り囲まれ、山や水に沿っており、景色が優れています。発掘されてみると、城内に仏閣、楼閣、兵舎・住宅、製鉄所、製陶とお墓などの遺跡が多数あります。建築物は南向きで、左右が対称になっており、配置が厳格で、当時の平原地区の都市の配置とはっきり異なり、江南独特の「幹欄式建築」です。古い城の排水システムは自然な山坂、谷間を利用してつくり、雨水と汚水を分流させ、その配置が合理的かつ自然で、奇特だと思わせます。濃い漢代風格を有する出土した4万点余りの文物から見て、2千余年前の福建はすでに高い水準の製錬・鋳造や製陶などの工芸を持っていたことがわかります。

城村漢城は当時閩越王の余善の行宮だと考えている学者がいますが、漢武帝が閩越を平定したあと設立した一つ目の軍事砦だと推測する学者もいます。一体どちらが正しいのか、それはどのように勃興し、またどのように衰微したかについて、考察を待たなければなりません。

武夷山自然保護区は武夷山、建陽、光沢の3県(市)の境に位置し、南北の長さが52キロメートル、東西の幅が22キロメートル、周囲が570平方キロメートルです。武夷山自然保護区は全国の五つの重点自然保護区の一つです。標高1,000メートル以上の峰は377もあり、その中で1,500メートル以上の峰は112個、2,000メートル以上のは7個、主峰の黄崗山が2,158メートルで、武夷山脈の最高峰で、「華東の屋根」と呼ばれています。山の地勢が険しいため、峰が林立し、西北からの寒流の襲いを遮るだけでなく、海洋の暖かい気流を止め、この地区からいつも雲霧が立ち昇り、雨量が多く、気候が暖かくて湿っぽく、典型的な中央アジア熱帯気候に属します。保護区の森林は被覆率が92%に達し、植物の種類がおよそ3,0004,000種類あり、「天然植物園」とも呼ばれています。区内の野生動物が400種類余りに達し、脊椎動物の中で獣類が百種類近くいます。掛墩あたりは渡り鳥が南北へ移動する時の休憩地で、世界で鳥類の資源が最も多い地区の一つでもあり、鳥が大体300種類以上あり、「鳥の天国」と誉められています。大竹嵐は世界の生物標本の産地で、「昆虫の世界」、「蛇の王国」の称があります。全国の昆虫は32目の1,000科がありますが、ここにすでに命名されたものは31目の300余科があります。ここの蛇は大連蛇島の蛇よりも多く、すでに526種類が発見され、わが国特有の劇毒の蛇である五歩蛇(蝮の一種)だけでも50万匹以上います。

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