出所:福建観光の窓www.fjta.com
概況
漳州市は福建省の東南部に位置し、東経117°-118°、北緯23.8°-25°で、東は台湾海峡に面し、厦門と海を隔てて向かい合い、東北は泉州と隣り合い、西北は龍岩に隣接し、西南は広東の汕頭と隣り合っています。総面積が1.26平方キロメートル、人口が450万人で、ほとんど漢族ですが、畲族や高山族など21の少数民族があります。漳州は国務院に指定された歴史文化名城です。考証によれば、1万年前に先住民がここで暮らし、唐の垂拱2年(紀元686年)に漳江の傍らに州という行政機関が設けられた(今の雲霄県内)から、漳州と名付けられました。唐の貞元2年(紀元786年)に現在の所在地に移りました。漳州は物産が豊かで、「花・果物の都市」、「魚・米の郷」と呼ばれています。ここはミカン、ライチ、バナナ、竜眼、ブンタン、パイナップルという「六大有名果物」と、水仙の花、ツバキの花、ランという「三大名花」及び車海老、アカハタ、あわび、イセエビ、赤チョウザメ、ホタテガイ、牡蠣、ハイガイ、スルメなど有名な海産物がよくとれます。その中で、「水仙の花」、「国宝神薬」の「片仔癀」及び「八宝印肉」は「漳州三宝」と誉められ、海外に名をあげています。漳州の対外友好往来がますます頻繁になり、国際友人の来訪が日増しに多くなってきました。オーストラリア元首相のホーク、フィリピン元大統領のアキノが相次いで来訪しました。アメリカハワイの水仙皇后観光団、12ヵ国上海駐在外交官とその夫人考察団も漳州を考察に来ました。1991年に日本の諫早市と友好都市を結びました。
風景区案内
百花村は龍海の九湖鎮にあり、市街区より5キロ離れたところに位置し、漳州ないし閩南地区の花の栽培・販売基地です。話によれば、明の永楽年間に宋代理学者朱熹の子孫が避難のため漳州に来、花を植えて日を過ごしました。その後、代々受け継ぎ、花を植えたり売ったりしていました。村全体の800戸余りの農家が500年間にわたってずっと花を植えてきました。その花はラン、ツバキ、梅、菊、海棠など1,000種類余りです。その他に、ヒメツゲ、楡、ガジュマルで作られた盆栽もあります。その製品は大陸の10以上の省・市及び香港、マカオなどによく売られています。
花市一本街は漳州南環城路の最南端にあり、国道324号線と省道郊柏線の交差点に位置し、国道沿いの最大の百花街であり、漳州政府が「花」大産業を建設し、50キロにわたる花回廊をつくるためのリード役と「窓口」でもあります。花市で展示・即売されている新鮮な花、緑の葉、盆栽が1,200種類以上に達し、花作り農家がつくった品種もあれば、外国から導入された新しい品種もあります。例えば、タイのラン、インドのガジュマル、ブラジルのセンネンソウ、シンガポールの五色葉などがあります。花市一本街は漳州花市場の綺麗な風景区になったばかりでなく、南に来北へ行く観光客が花を買ったり観賞したりするのに最もいい場所でもあります。 漳州女子バレー基地は漳州市街区新華路北路北側の交差点にあり、漳福(漳州-福州)路に面し、漳州体育館訓練基地と漳州体育場を背にしています。中には記念碑があり、それが1984年7月に中国女子バレーの「三連続優勝」を記念するためにつくられたものです。
南山寺は漳州市街区九龍江南側の丹霞山の麓にあり、漳州八大名勝の一つで、1,200年余りの歴史を持っています。もとは「報劬崇福禅寺」と呼ばれ、唐の開元年間(紀元713年―741年)に太子太傅の陳邕が建て、明朝になってはじめて「南山寺」に改称されました。南山寺は規模が雄大で、大石仏、白玉仏、大鐘、血書の「厳華経」、皇帝が賜った「致経」(貝葉経)は南山寺五宝と総称されています。
十里蕉林は郊外の国道319号線沿いの天宝鎮にあり、周囲十里が全部バナナの畑なので、「十里蕉香」という美称があり、四季を通じて見物できます。天宝バナナは皮が薄く、美味く、甘く、肉が柔らかく、蕊がないなどの特色で世によく知られています。その近くには「望蕉亭」があり、そのあずまやに立てば、バナナ園の景色が一望の下にあります。
龍海水仙基地は龍会九湖鎮にあり、面積が3,200ムーです。水仙の花は漳州市を代表する花であり、中国の十大名花の一つでもあり、「凌波仙子」、「南国花王」などの美称があります。漳州水仙の花の魅力はその彫刻芸術にあり、彫刻職人が「形により意味を与える」ことができ、様々な生き生きとした造形が彫刻でき、漳州水仙の花は毎年の旧正月前後に咲き、純潔、素晴らしき、吉祥などのシンボルと見られています。
龍佳生態レジャー山荘は龍海市角美鎮蒼坂の、国道324号線沿いにあり、観光区、レジャー区、水上楽園区、文化・体育広場区、生態農業区、温泉区及び福建台湾高能率農業科学(龍佳)研究所などからなっています。生態農業区は命名果園、自助摘み取り園と四季品種園など三つの農園があり、果樹園が800ムーで、果樹が2万株以上あります。文化・体育広場区には各種のスポーツ、トレーニング施設が十数種類以上あり、福建省住民フィットネス活動センターであり、漳州市の「青少年素質訓練基地」でもあります。山荘は「石の文化」を特色とし、様々な石彫り、石碑、扁額があり、彫刻工芸が精緻・綺麗で、素晴らしいものです。
南太武ゴルフカントリークラブは龍海市港尾鎮の海辺にあり、敷地面積が1,858ムーで、台湾系企業が独資でつくったもので、漳州市唯一のゴルフ球場です。ここは山を背にし海に面し、風景が綺麗で、国際基準の18ホールのコース、競馬場、海浜別荘―砂浜の木造建物などの観光・サービス施設があります。ここで品位の高いフィットネス運動が楽しめるし、出盛りの海鮮料理や地元の一品料理などが食べられます。
天福茶博物院は漳浦県の盤陀鎮天福茶庄にあり、博物院内は四つの主な館があります。主展示館、茶道教室、日本茶道館、書画院です。主展示館は建築面積が3,000平方メートルで、中国式の古風二階建で、茶葉の科学技術、茶葉発展史、世界の茶情報、世界の茶文化、現代的な茶芸、貴重な各種の急須、茶と詩、茶と絵、茶と人類の健康及び茶葉の多角的利用などのお茶関係の知識が展示されており、豊富な挿し絵と文章により天福の発展史が紹介されています。天福茶博物院は学術研究、文化の伝承、教育・娯楽を一体に集めた茶葉専門博物館です。ここへ観光に来れば、お茶の文化史を知ることができるだけでなく、天福ならではの陸羽の「無我茶会」、台湾の「四序茶会」、「唐宋の煮茶聴詩」、「清朝宮廷茶礼」、「雲南少数民族茶礼」と「日本の茶道」などの茶芸の演出も楽しめます。
漳州浜海火山国家地質公園は漳浦、龍海の海浜あたりに位置し、北は鎮海まで、南は前湖に至り、西は魚鱗石まで、東は南碇島まで、敷地面積が100平方キロメートルで、典型的な第3紀火山地質公園です。1,700万年前に、区内の火山岩(玄武岩)はヒマラヤの活動中でマグマが地球の深い所から北東に沿って湧きだし噴火して形成されたものです。中心式火山噴火形跡とその後の風化・浸食による地形景観が残されました。風景区は青空、青い海、砂浜、緑林の中に置かれ、火山地学景観と一体になり、観光、レジャー、科学研究を一体に集めた総合的観光地です。
花博園は漳浦県馬口の、国道324号線沿いの漳州閩南百里花回廊の中心部にあり、国家の許可を得た最初の「台湾海峡両岸農業協力実験区」で、これまでの毎回「海峡両岸(福州・漳州)花博覧会」の主会場です。総面積が320ヘクタールで、現代農業模範園、洋蘭(胡蝶蘭)栽培センター、韓国サボテン・多肉植物栽培センターと台湾花・果物栽培センターなどがあります。花博園には六園六館が設けられ、花のスーパーマーケットと紫溪水山荘があり、閩南、台湾と国外の貴重な花・草類植物が観賞できるだけでなく、閩南と台湾の風俗も経験でき、現代的な農業生産技術も理解できます。
東山は明代理学者の黄道周の故里です。福建省の東南端、東海と南海の合流点に位置し、東は台湾海峡に面し、台湾島と海を隔てて向かい合っています。海水、砂浜、海鮮料理で有名になっています。風動石─塔嶼風景区と馬鑾湾風景区があります。風動石─塔嶼風景区は東山島東北部の銅陵鎮にあり、国家4A級観光区と有名な省級風景区です。観光区は三方が海に面し、天下第一奇石である風動石、生き生きとしている石僧拝塔(石造の僧侶が塔を参拝する)、虎崆滴玉及び「海上仙山」と言われている中国四大名島の一つである東門塔嶼などの景観があります。馬鑾湾観光区は東山島の東部にあります。東山島内は緑樹でいっぱいで、くねくね曲がっている古城、青い海、白い帆、飛んでいるカモメが詩や絵のようなもので、ここで日の出を見たり、お釣をしたり、バーベキューをしたり、水泳をしたりすることができます。古い銅陵鎮にはレストランがずらりと並んでおり、本物の漁家風料理が食べられます。
土楼:漳州市の南靖、華安、平和、詔安、雲霄、漳浦など各県の山間地帯に分布している土楼は歴史の悠久、数量の多さ、規模の広大、造型の珍しさ、風格の独特で世にその名をあげ、「神話のような山間地帯建築」と呼ばれています。土楼は未熟土を主要材料とし、石灰、細かい砂、もち米のご飯、黒砂糖、竹の切れ、木の細い棒などを混ぜ、繰り返し揉み、プレスし固めたものです。一族の人が集まって住むこと、盗難防止、防震、獣の侵入防止、防火、防湿、通風や採光がよいこと、冬は暖かく夏は涼しいことなどの特徴があります。土楼は普通高さが3階から5階までで、1階は炊事場で、2階は倉庫で、3階以上は居間で、200~700人ぐらいが住めます。
南靖
南靖は“土楼の王国”と言うことができます。これらの土楼は大きさが違い、形がそれぞれ異なっています。4名の専門家は南靖の土楼の歴史と研究価値について次のように評価しています。★「世界唯一の神話のような山村建築スタイル」―S.アンドレー(ユネスコ顧問)★「これは世界一流の未熟土建築だ」、「黒いUFOのように空から降り、キノコのように地から飛び上がる」―茂本計一郎(日本東京大学教授)★「これは土楼博物館だ」―鄭孝燮(中国歴史文化名城保護専門家委員会副主任)★「南靖の土楼は中国の民家の中で非常に奇異な存在で、世界の民家の中でも唯一無二のものだ」―路秉傑(上海同済大学教授)
【梅林和貴楼】 最も高い土楼 ―梅林和貴楼は200年余り前の清の雍正10年(1732年)に建てられ、五階建で、高さ21.5メートルで、毎階の部屋が28間、全部で140間です。珍しいことには、この建物は沼沢地の上に建てられ、基礎がなく、1隻の大船が海の上を漂っているようなものの、200年余りを経ても、相変わらず高く聳え立っていることです。
【書洋順裕楼】 最も大きい土楼 ―書洋順裕楼は1937年に建てられ、外の廊下の直径が86メートルで、毎階の部屋が72間、全部で288間あり、建物の中にまた80間あり、全部で368間です。山を背にし川に面し、気勢が壮大で、「王の中の王」として広く知られています。
【南坑翠林楼】 最も小さい土楼―南坑翠林楼は内の壁の直径が9メートルだけで、三階建で、部屋が36間です。
【梅林懐遠楼】最も完備している土楼―梅林懐遠楼は清の宣統元年(1909年)に建てられ、直径が38メートルで、高さが四階建で14.5メートル、部屋が全部で136間です。建物内は梁や棟に彫刻が施され、素晴らしい対聯が掛けてあり、それを読むと、限りない後味が残ります。中央にある「斯是室」は家族の子弟の読書場所で、精巧で上品です。これは建築工芸が最も精巧で、最もよく維持されている双環円土楼です。
【田螺坑土楼群】 最も奇特な土楼―田螺坑土楼群は、方形土楼(歩雲楼)一つ、楕円形土楼(文昌楼)一つと円形土楼(和昌楼、振昌楼、瑞雲楼)三つからなっており、配置が合理的で、距離が適切で、不揃いだが整然としています。高い所から見下ろすと、咲いている梅の花のようで、麓から眺めると、ポタラ宮のようで、土楼民家の中で最も精巧できれいな組合せ建築群です。
【説明】本ホームページはわが市周辺の観光地を宣伝することを旨とするもので、もし選んだ内容(インタネットから)に対して疑問があれば、お教えください。できるだけそれを確認して更正致します。
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