概 況
福州(榕城とも称される)は福建省の省都で、省全体の政治、経済、科学技術、教育及び文化の中心です。福州は福建省の東部沿岸に位置し、閩江の下流にあり、東は東海に迫り、台湾と海を隔てて向かい合っています。福州は亜熱帯海洋性気候に属し、年平均気温は19.7℃です。福州市は総面積が11,968平方キロで、2000年末まで人口が約639万人です。そのうち、市街区は面積が1,043平方キロで、人口が約212万人です。福州は古から有名な商業・貿易の港都市で、わが国の「海のシルクロード」の重要な門戸です。福州は漢代から正式に港になり、アヘン戦争後、五口通商港の一つとして開かれ、大口輸出入商品の集散地です。福州は全国の対外開放の14の沿海港都市の一つで、総合経済力が全国26個の省都の中で上位に入っています。
福州は歴史文化の名城として2,200年余りの歴史を持っています。紀元前202年に、閩越王の無諸はここで城をつくって都を設立して、「冶城」と称しました。唐開元13年(725年)には福州都督府が設立され、「福州」と称され始めました。福州は古くから「海浜鄒鲁」と称され、歴史上、五代に福建を開拓した王審知、南宋時代の愛国名相である李綱、近代民族英雄の林則徐、啓蒙思想家の厳复、文学家の林紓、文学大家の謝氷心など、数え切れない優れた人物が現れました。福州には文物や名勝古跡がたくさん保存されています。その有名な文物には1,000年前に建てられた江南最古の木造建築物の「華林寺」、同じ1,000年前に建てられた「天下四大名碑」の一つである「恩賜瑯瑘王徳政碑」、1,200年前の「書道芸術世宝」と呼ばれている唐代篆書名家の李陽氷が書いた烏石山懸崖石刻、今まで完璧に保存されている唐宋時代の大通と横町である「三坊七巷」などがあります。
福州は中国の優れた観光都市で、特色のある景色を持っています。風景名所が数えられず、その主な名所には鼓山、西湖、西禅寺などがあります。福州の民間工芸も名高く、伝統的な工芸品である脱胎漆器、牛角櫛、紙傘は昔「福州三宝」と呼ばれています。特に1,500年余りの歴史を持っている寿山石彫、200年余りの歴史を持っている脱胎漆器が国内外に名が知れ渡り、それらがコルク画とともに「榕城三絶」と呼ばれています。
福州の飲食文化は長い歴史があり、濃厚な南国の地方特色を持っており、特に山海の珍味が有名で、その名料理の「仏跳墻」が国内外によく知られています。
鼓山は標高969メートル、面積1,890ヘクタールです。榕城の東郊と閩江の北岸に聳え立っています。鼓山は福建省の十大風景区の一つであり、国家級風景名勝区でもあります。その頂上にある巨大な石は太鼓のようで、風雨が降るたびに、揺れる音が鳴るから、「鼓山」と言われています。鼓山涌泉寺は福建省第一のお寺で、標高455メールの山腹にあり、お寺の前に羅漢泉が出るから「涌泉寺」と名付けられたそうです。最初は唐代に建てられ、「華厳台」と称されましたが、五代の後梁になると、閩王の王審知は土木工事を大いに興し、淵を埋め、お寺を建て、「国師館」と名づけました。宋代(999年)には正式に「白雲峰涌泉禅院」という額が賜られ、明の永楽5年(1407年)に「涌泉寺」という名が賜られ、清の康煕38年(1699年)に康煕帝が書いた「涌泉寺」という金粉の扁額が賜られました。今の涌泉寺は基本的に明清両朝の建築風格と配置が維持されています。お寺は大小殿堂が25個あり、天王殿、大雄宝殿及び法堂という三大殿堂を主体とし、山に沿って建てられ、完璧な古代建築群になっています。
烏山:烏山は於山、屏山とともに古鼎の三足のようで、福州市街区の中心部に聳え立っています。烏山は西にあり、於山は東にあり、屏山は北にあります。したがって、「三山」は福州の別称になっています。烏山は烏石山とも称され、標高86メートルで、観光面積が25ヘクタールです。唐の天宝8年(749年)に閩山と名付けられました。烏石山は形の変わった石が険しく聳え、林が奥深いから、「蓬莱仙境」という美称を持っています。
於山:福州市街区の中心部にあり、最高峰の海抜が58.6メートルで、面積が11.9ヘクタールです。巨大な鰲(伝説上の海の大亀)のようなので、攬鰲亭、倚鰲軒、応鰲石、接鰲門、歩鰲坂、聳鰲峰など六鰲の名勝があります。山の中には白塔寺と白塔があり、唐代に造られ、閩王の王審知が創設したもので、現存の建物が清の道光年間~光緒年間に建て直されました。天王殿、大雄宝殿及び法雨堂の三正殿堂に分けられています。法雨堂は厳复の読書室でもあり、清朝の福建船政学堂の校舎でもありました。
華林寺:国宝とされている華林寺は屏山の南麓にあります。華林寺は北宋の建徳2年(964年)に建てられ、今まで1,000年余りの歴史を持っています。宋の高宗は同寺に親筆の「越山」、「環峰」を賜りました。明の正統9年(1444年)に「華林寺」という扁額は賜られ、今まで使われています。華林寺の古い建物としては正殿しか残っていません。現存の史書文献による研究及び科学的測定により、正殿の建造年代が964年だと確認され、1982年に全国重要文化財になりました。華林寺の正殿は歴代にわたって修復されていたが、その主な構造が相変わらず最初につくられたものです。もし建築年代によって並べれば、全国の第七位になっています。前六位の建物はいずれも乾燥の高原地区にあるのに対し、華林寺だけは江南最古の木造建築で、わが国の南方の木造建築を研究するのに貴重な実物資料です。中日両国の学者の考証によると、華林寺の正殿は日本の鎌倉時代(12世紀末)の建築風格に大きな影響を与えたということです。こうしてみれば、華林寺は中日文化交流の歴史的証拠でもあります。お寺の中には宋高宗趙構の篆書石碑1枚、清康煕の「華林禅寺香灯碑」及び民国時代の「林森記念堂碑」などが存しています。
福州西湖公園:福州西湖公園は市街区の西北部にあり、福州で今までもっとも完璧に保存されている古代園林で、1,700年余りの歴史があります。史書によれば、晋太康3年(紀元282年)に郡守厳高が小城を建てる時、西湖を掘り、西北部山々の水を引いて田畑を灌漑し、晋代のお城の西側にあるので、「西湖」と呼ばれるようになりました。五代の時、閩王王審知がお城を増築し、西湖が閩国王朝の花園になりました。それからだんだん観光区に変わりました。宋淳熙4年(1177年)に福州知州兼福建撫使の趙汝愚が西湖に澄瀾閣を造り、仙橋柳色、大夢松聲、古堞斜陽、水晶初月、荷亭唱晩、西禅暁鐘、湖心春雨、澄瀾曙鶯という「西湖八景」を題しました。近年、政府は何度も資金を出して修繕・増築し、特に2001年に、沖積泥を掘り出し、古い観光所を建て直し増築し、整備後の西湖は多くの観光所が増え、景色がもっときれいになりました。
林則徐記念堂:林則徐記念堂は福州市マカオ路にあり、烏山観光区に近いです。清光緒31年(1905年)に建てられ、敷地面積が3,000平方メートルです。1982年にもとのとおりに建て直され、林則徐記念館とされ、福建省重要文化財になっています。
西禅寺:西禅寺は福州の五大禅林の一つで、全国の重要なお寺で、西郊の怡山の麓にあります。建物は唐代に建てられ、お寺は今まで1,130年余りの歴史を持っています。中には天王殿、大雄宝殿、法堂、蔵経閣、玉仏楼、観音閣及び客堂、禅堂、方丈堂など大小の建築が36あり、敷地面積が7.7ヘクタールです。ライチの木が百株以上あり、近くに明遠閣があり、それが歴代の名人がライチのシーズンに誘い合ってライチを見ながら詩を詠うところです。西禅寺には歴史の古跡がたくさんあり、唐代開山祖師の懶安禅師の塔にある「真心銘碑」、五代慧棱法師の塔、唐代の七星井などは福州が歴史的名城であることを物語っています。
海外では、シンガポールの双林寺、マレーシアのピナン双慶寺、ベトナムの普陀寺、二府廟、観音寺などのお寺はいずれも西禅附院に属し、今でも西禅寺によって派遣された僧侶が管理しているから、西禅寺は福州と東南アジア地域との文化交流の窓だと言われ、毎年多くの国外の高僧や仏教信者が参拝に来、古刹独特の風景になっています。
黄檗山観光区:黄檗山は福州福清市漁溪鎮聯華村にあり、福清市街区まで30キロ余りで、黄檗木が多いから、「黄檗山」と呼ばれるようになりました。峰が重なり合ってきれいで、泉の水がさらさらと湧き出ています。黄檗山の麓に黄檗寺があり、万福寺とも呼ばれています。そのお寺は唐代に建てられ、明代から清代初期まで盛んになりました。高僧の隠元禅師は万福寺で住持を務め、僧侶が数千人に達し、一時東南沿岸の名刹と福建省の仏教文化センターになっていました。清順治12年、隠元禅師は日本に渡って、黄檗宗を創立し、それが中日文化交流史の美談として世に残りました。黄檗宗は今日本の仏教界での最大宗になっています。現在、黄檗寺は修復されてから、重点的な対外開放寺院になり、東南沿岸の高僧が相次いで参拝に来ています。 |